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黄檗宗|禅と念仏を融合させた中国臨済宗

黄檗宗は、臨済宗曹洞宗と並ぶ日本三禅宗のひとつです。また、十三宗派の最後のひとつです。中国の僧隠元が宗祖。臨済宗との違いは、坐禅にプラスして念仏をとなえることです。「念仏禅」といいます。

黄檗宗とは

宗祖隠元いんげん

日本伝来/1661年

主な経典/とくにないが、『禅林課誦』(ぜんりんかじ)が読まれる

おとなえ南無阿弥陀仏

本尊/釈迦如来薬師如来など

総本山萬福寺京都府宇治市

特徴/中国臨済宗の高僧だった隠元が宗祖。人間は生まれながら仏性をもっており、坐禅と念仏を取り入れた「念仏禅」を行うことで、仏性を見出し悟りの境地に達すると説いた。

 

来日した中国僧が宗祖

仏教十三宗派のほとんどは鎌倉時代までに出そろいました。そこから400年以上もたった江戸時代の初期に、十三宗派の最後のひとつ、黄檗宗が登場します。黄檗宗は日本で生まれた仏教宗祖ではあるが、その宗祖は日本人ではなく中国人の隠元でした。そのため黄檗宗の寺院は日本では珍しい中国風建築が多く、伽藍配置も中国明代のスタイルになっています。

黄檗宗の宗祖、隠元福建省福州の出身です。29歳で出家して臨済禅を学び、やがて故郷の黄檗萬福寺の住職となりました。中国臨済宗の重鎮として名が知られていた隠元は、日本から再三の要請を受けて62歳の時に来日しました。

日本には鎌倉時代栄西によって臨済宗が伝えられたが、以降400年の間でさらに発展した本場中国の臨済宗を取り入れたいという思惑があったのです。また、当時の日本は江戸幕府による鎖国が行われており、外国との交流はほとんど持てない状態でした。そのため文化が沈滞しつつある日本に、仏教という形を借りて新しい風を取り入れたい意図もあったのだと思われます。

こうして、日本にもたらされた隠元の中国臨済宗は、日本の臨済宗と区別するため、「臨済正宗」と呼ばれるようになりました。そして当時の徳川家4代将軍、家綱から京都宇治に寺領を与えられ、萬福寺を建立しました。

時代が進み明治時代になると、政府は日本の禅宗臨済宗曹洞宗の2宗に定め、隠元の宗派も臨済宗のなかに組み込まれてしまいます。隠元がもといた黄檗萬福寺から名前をとって、「臨済宗黄檗派」という名称に無理やり改名させられたのです。臨済宗から離れたのは明治9年。ここで初めて黄檗宗を名乗り、独立した禅宗の一派となったのです。

進化していた中国臨済宗

黄檗宗禅宗なので、拠り所にする特定の経典はありません。本尊もないが、釈迦如来を祀るところが多いようです。

そしてその教えも、臨済宗とかなり近い。人間は生まれた時から自分のなかに仏性をもっており、坐禅修行を行うことで、それを見出して悟りを開くというものです。

ただし黄檗宗では、坐禅をしたうえで「南無阿弥陀仏」という念仏もとなえます。つまり坐禅と念仏の融合です。これを「念仏禅」といいます。

坐禅は自分で悟りを開くことを目的にした修行ですが、念仏は仏に救いを求める他力本願の修行です。この両者は矛盾しており、融合はいささか強引に思える。しかし念仏禅の念仏は、浄土宗のようにただ救いを求めるものではなく、自分のなかに仏性を見出すための方法のひとつなのです。坐禅と合わせて念仏をとなえれば、効果は倍増し、よりいっそうの仏性を見出せるという考え方に基づいています。

勘違いされがちですが、念仏禅は隠元が日本で考案した独自の修行ではありません。栄西が中国で臨済宗を学び日本へ伝えた後、中国では禅と念仏(浄土教)の融合が行われるようになった。元時代の末期には、禅浄一致(禅と浄土教)を説いた典籍も書かれています。つまり隠元が来日するまでの400年の間に、中国臨済宗は進化していたのです。

ちなみに黄檗宗の「南無阿弥陀仏」は、日本のように漢音で読むことは少ない。中国独自の発音で「ナムオミトーフー」と読むのが一般的とされています。

 

インゲン豆の由来ともなった

 インゲン豆は、南アメリカからヨーロッパを経由して中国へ伝わり、明の僧であった隠元禅師が、1654年(承応3年)に来日した際、日本へ持ち込んだことから「隠元」の名がついたといわれています。

 

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布袋(ほてい)は七福神の中で唯一、実在の人物といわれています。後梁時代、中国浙江省の契此(かいし)というお坊さんがそのモデルになったといわれています。この方はいつも大きな袋をかついで国中を旅していたことから、いつしか「布袋」と呼ばれるようになりました。

布袋さまは各地を行脚し、訪れた先々でたくさんの貧しい人々に出会いました。そして人々に救いの手を差し伸べ、袋の中から必要な物を与えました。救われた人から御礼にと戴いた物などはまた袋の中に入れ、再び行脚の旅に出るのです。これを繰り返しているうちに袋はどんどん大きくなっていきました。布袋さんの袋の中には人々の感謝と慈悲の心が詰まっているのです。

その徳の高さから布袋さまは、いつしか中国の弥勒菩薩信仰と交わって「弥勒菩薩の化身」といわれるようになりました。