日蓮宗|『法華経』に従い現世利益を得る
日蓮宗は、「南無妙法蓮華経」という題目が有名な「法華経」を重んじている宗派です。
日蓮宗とは
宗祖/日蓮(にちれん)
日本伝来/1253年
おとなえ/南無妙法蓮華経
本尊/南無妙法蓮華経の7文字
特徴/極楽浄土に往生し、来世での救いを求めるのではなく、「南無妙法蓮華経」という題目をとなえることで今生きている間に救いを得ようとする。題目は大声を出し、心と体で読む。
『法華経』が最高の教え
浄土宗でよくとなえられる「南無阿弥陀仏」を念仏と呼ぶのに対して、日蓮宗でとなえられる「南無妙法蓮華教」は題目と呼びます。念仏は「阿弥陀仏に従います」という意味で、題目は「『法華経』に従います」という意味になります。仏の名前を念じるから念仏で、経文のタイトルをとなえるから題目なのです。
また、念仏は口の中でぶつぶつととなえるのが一般的ですが、題目は太鼓を鳴らしながら声を上げて盛大にとなえます。だから寺院のそばを歩くと、大きな声で「南無妙法蓮華経」と聞こえてくることがあるのですね。そういった寺院は日蓮宗系と考えてよいです。
宗祖はご存知の日蓮。16歳で出家した日蓮は、どの宗派が本当に衆生を救う宗派なのかを探し求めるため、比叡山をはじめとしたさまざまな寺を渡り歩き、仏教諸派を学びました。しかしそのどれも日蓮が求める仏具ではなかった。やがて日蓮は『法華経』がお釈迦様の説いた最高の教えだと考えて、その精神を広めるために辻説法で布教を始めます。それが日蓮宗の始まりとなりました。
他宗派を邪教と批判
日蓮の教えは「南無妙法蓮華経」ととなえることで救われるというものです。「南無阿弥陀仏」ととなえるだけで救われるという浄土宗の教えと似ていますが、両者は根本的に違う点があります。それは念仏をとなえれば極楽浄土に往生できるという、いわば来世での救いに重点を置く浄土宗に対して、日蓮宗では「現世で救われなければ意味がない」と考えているところです。つまり今生きていることが重要であり、本当の幸福は来世にあるのではなく、『法華経』の教えに従うことで今訪れるとしています。
そのため日蓮は『法華経』に従わなければ苦難しかないと宣言しました。幕府に対しても『法華経』への信心をもたないと日本は滅びると建言したほどです。こういった姿勢から、日蓮は強い迫害に遭ってしまいます。 迫害に拍車をかけたのは、日蓮がとなえた「念仏無間」「禅天魔」「真言亡国」「律国賊」という言葉の影響も大きい。これは「念仏をとなえると無間地獄に落ちる」「禅宗は天魔を求める行為」「真言は亡国の祈り」「律宗は国賊」という意味で、ようするにほかの宗派を邪教ととして堂々と批判したのです。
鎌倉時代は多様な宗派が確立されており、それぞれが信徒を獲得しつつある。しかし本当に衆生を救済できるのは『法華経』のみなので、衆生の目を覚ましたいという気持ちがあったのでしょう。この結果、他宗派の信徒に襲われて重傷を負わされたり、2度も流罪になったりしたのです。
それでも日蓮は生涯、声を大にして『法華経』に従うことを人々に勧め続けました。そんな宗祖の生きざまが影響しているのか、日蓮宗では小さく題目をとなえるのではなく、周囲の人々にも聞こえるように大声でとなえることが推奨されているのです。また自分だけ救われようとするのではなく、ほかの人々に勧めることで理想の社会、すなわち仏の世界が実現できるとしています。
本尊は釈迦如来ですが、その姿は偶像で表されるものではないと考えており、「南無妙法蓮華経」と書かれた7文字と、その周囲に諸仏の名前を書いた「十界曼荼羅」を本尊として祀っています。
お葬式においても「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えることが重要で、葬儀の最中にもこのお題目がとなえられます。葬儀の場でお題目をとなえることによって、「故人の生前の信心深さを讃え、故人が無事に霊山浄土に辿り着き成仏する」手助けができるため、功徳を積むことになり修行が進むとされています。