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大火から明治期に再建|世界最大級の木造建築!東本願寺

大火から明治期に再建 世界最大級の木造建築

 

開門・閉門時間

【3月~10月】5時50分~17時30分 【11月~2月】6時20分~16時30分 ※境内参拝自由で料金は無料です。

アクセス

京都市下京区烏丸通七条上る

JR京都駅から徒歩約7分 地下鉄五条駅から徒歩5分 市バス 烏丸七条バス停から徒歩1分

真宗大谷派 東本願寺

 京都市民から「お東さん」と呼ばれる東本願寺は、正式名称を「真宗本廟(しんしゅう ほんびょう)」と言い、浄土真宗大谷派の本山です。 江戸時代はじめの1602年に本願寺西本願寺)と別立し、第13代教如(きょうにょ)により創立した。すぐ南にそびえ立つ京都タワーは「お東さんのロウソク」と通称される。白いタワーはロウソクそのもの。

東本願寺の歴史

 戦国時代の末期、織田信長との石山合戦のおり、門首顕如(けんにょ)の長男であった教如は徹底抗戦をとなえて顕如から縁を切られる。一時は和解するが、豊臣秀吉より退隠を命じられ、弟の准如(じゅんにょ)が本願寺を継いだ。  退隠した教如徳川家康から京都烏丸六条と七条間の地を寄進されて、新たに築いたのが東本願寺です。  東本願寺は江戸時代に4度もの火災によって焼失し、現在の建造物は1895年に再建されたものです。数少ない貴重な創建時の品が、慶長9年(1604年)の銘が入った梵鐘で、過去の大火の時は地中に埋めて守られたという。

 境内で現存している最古の建造物は、幕末の1867年に建てられた書院造の大寝殿である。明治期の再建に尽力した門徒たちの熱意の跡が目を引く。

御影堂

 親鸞聖人の御真影(座像)を安置する御影堂は、高さ38メートル、幅76メートル、奥行き58メートルの規模をもつ。木造建築としては世界最大級となる。この御影堂とご本尊である阿弥陀如来を安置した阿弥陀堂のの建材は普通の縄では運べない重さだったため、門徒たちは毛綱を本山へ献じた。これは現在も展示されている。

 

 御影堂の北には宮御殿がありますが、残念ながら一般公開しておりません。旧大宮御所を解体・移築したもので、なかの畳はすべて縁が緋(あか)色なのが特徴のようです。

視聴覚ホールとギャラリー

御影堂問の北にある参拝接待所に併設して視聴覚ホールとギャラリーがる。ギャラリーでは、親鸞の著作「顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)」(教行信証)の影印本の展示をはじめ、さまざまな企画展示がされています。地下にある視聴覚ホールでは法話や映像上映がなどが行われています。

阿弥陀堂獅子口瓦が実物大で展示されています。再建時使用していた物です。

これは、御影堂の内陣構造模型(10分の1)です。 御影堂修復工事では、内陣中央部にある柱や天井上にある梁の構造補強が行われました。この模型は、補強鉄骨材の木部への取付け方や破損箇所までの資材搬入経路など、詳細な工事計画を立案するために製作されたもので、木の材種や寸法、接合部の形状などが、克明に再現されています。

御影堂問

御影堂門は、2015年末まで修復工事が行われて豪華絢爛ですね。 明治40年宗祖650年遠忌事業として再建。三間三戸二重門、入母屋造、本瓦葺で、下層は二手先、二軒繁垂木、上層は三手先、二軒扇垂木とし、左右に山廊を付す。大型で立ちが高く彫刻や細部の意匠にも優れ、寺域への正門として伽藍正面の構えを整えています。

阿弥陀堂

御影堂門と同じく宗祖650年遠忌に際して建設。四脚門形式、切妻造、檜皮葺で、前後に唐破風を付ける。四脚門としては最大級の規模であるとともに頭貫木鼻や欄間に精緻な彫刻を用いて飾る。御影堂門南に並んで建ち、壮大な伽藍の正面構成上欠かせない建物です。

 

京都も歴史・文化を学び、今すぐ旅に出よう!

今回、東本願寺を紹介しましたが、西本願寺も徒歩で行けます。実際に西本願寺にも行って来ましたが改装中が多く、写真は撮りませんでした。次回の機会で紹介したいと思います。前段で説明しておりますが、もともとは西本願寺東本願寺もひとつだったものが2つに分かれたんですね。同じ浄土真宗でも派が違いますね。政治の派閥のようにとらえて頂いても過言ではないと思います。