taka-dai’s diary

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京都の東山を代表する!浄土宗総本山 知恩院

2019年8月18日(日)京都知恩院に行って来ました。知恩院は、浄土宗総本山です。 浄土宗宗祖法然上人が没するまでの半生を過ごした地です。まず三門の壮大さに驚かされます

阪急河原町駅下車し、地上にあがったところの高瀬川川沿いの光景をみて残念な気持ちになりました。 高瀬川川沿いは透き通った水がさらさらと流れ、風情が感じられる憩いの場所です。 そこで目にしたのは、大量のごみでした。空きペットボトルやたばこの吸い殻、菓子・弁当等の空き袋です。 清掃員の方が掃除していました。 清掃員の方にお聞きすると、『今日が特別というわけではなく、毎日です』ということです。 歴史あり観光客も多い京都のイメージダウンにつながると思います。ゴミ箱は設置されていないため放置して帰ってしまうのだと思いますが、京都の景観を損なうため、ゴミは持ち帰りましょう。また、たばこの吸い殻は、吸い殻入れに入れましょう。決して路上に捨てることのないように!ちょうどその場所は喫煙エリアになっていて吸い殻入れもありますので。 行政の対策も必要であることを感じました。

阪急河原町から知恩院に向かって歩きます。 今日の鴨川の様子です。四条大橋からの長めです。台風の影響か川の水の量は多いですが、色は濁った感はなくなっておりました。(台風が過ぎ去った後の16日は茶色に濁っておりました。)

右手に南座も見えます。

突き当りは八坂神社です。

突き当りの八坂神社を左へ曲がり、少し歩くと知恩院の新門があります。

新門をくぐり進んでいくと壮大な三門が見えてきます。見てびっくり!とにかく大きくて圧倒されます。 三門は国宝に指定されており、元和7年(1621年)、2代将軍徳川秀忠公が建立した高さ24m、幅50mで東大寺の南大門を超す日本最大の木造二重門。悟りの境地に至る「空門」「無想門」「無願門」(三解脱門)を表すことから三門といいます。 この三門は、扇形に配られた垂木など、典型的な禅宗様式で建てられており、浄土宗寺院の三門が禅宗様式で建てられているのも興味深い。

山号の『華頂山』が掛けられています。

華頂山 知恩教院 大谷寺(知恩院

開門時間、拝観料

開門時間は、月によって変わるそうですが、8月は午前5時。閉門時間は、いずれも午後4時。

拝観料は、無料ですが、方丈庭園、友禅苑は共通券で大人(高校生以上)500円です。

京都随一の繁華街、祇園にほど近い場所に立つ巨刹。浄土宗の宗祖・法然上人が没するまでの半生を過ごした地で、法然上人の廟も祀る浄土宗の総本山です。ゆえに、京都を訪れる観光客とともに、多くの信徒が日々、参拝に訪れます。知恩院は、比叡山を下りた法然上人が、現在の勢至堂近くの吉水という場所に、草庵を結んだことに由来する。当時43歳であった法然上人が、80歳で没するまで、「承元の法難」で流罪になった期間を除き、この地を拠点に専修念仏の教えを説いたとされます。 勢至堂や御廟などがある、境内上段が慎ましく静謐な雰囲気に包まれているのに対し、石段の先にそびえたつ三門や法然上人の御影を祀る御影堂などの建つあたりは、総本山の格式を感じさせる壮観な伽藍。堂・塔の多くが、国宝や重要文化財に指定されていますが、これらが現在のように整備されたのは、江戸時代に入ってからのこと。代々、浄土宗を信仰していた徳川家の多大な庇護を受け、知恩院は、その寺域を拡大し、現在の規模になったという。

一葉松

阿弥陀堂の左横のある塔

阿弥陀堂

明治43(1910年)に再建。本尊は御身丈2.7mの阿弥陀如来像です。

御影堂(国宝)

寛永16(1639年)、徳川家光公によって再建された知恩院の中心堂宇。平成23年から8年間に及ぶ大修理を行っています。

御線香1本50円。

宝佛殿

平成4年に造立された納骨堂。ロッカー式の納骨壇に個別でご遺骨をお納めしている納骨堂です。ご納骨堂内には阿弥陀如来像・四天王が安置されており、地下にご遺骨が奉安されています。 納骨者以外の人は入れません。

法佛殿から納骨堂へ行く川には蓮の花が咲いていました。

納骨堂

昭和5年に造立されて以来、合祀でご遺骨をお納めしている納骨堂です。 堂内に阿弥陀三尊像・二十五菩薩が安置され、地下にご遺骨が奉安されます。

経蔵(重要文化財

御影堂の東側に建っている経蔵は、三門と同じ元和7年(1621)に建てられました。 内部は、天井や柱、壁面は狩野派の絵師の手によって荘厳されています。また、徳川2代将軍秀忠公の寄附によって納められた『宋版一切経』約6千帖を安置する八角輪蔵が備えられており、その輪蔵を一回転させれば、『一切経』を読誦するのと同じ功徳を積むことができるといわれていますが内部非公開です。

経蔵の左側『写経塔』

勢至堂に行く階段下に『法然上人』像

大鐘楼

大鐘は高さ3.3m口径2.8m、重さ約70トン、寛永13(1636年)に鋳造され、日本三大梵鐘の一つとして広く知られています。僧侶17人がかりで撞く除夜の鐘は京都の冬の風物詩として有名です。

法然上人御堂(集会堂)

寛永12(1635)年再建。僧侶が集合し講学する場として集会堂と名づけられました。御影堂大修理完成まで本尊に法然上人の御尊像をお祀りし、法然上人御堂と名を改めて、本堂としての役割を果たしています。

10:20~ 東京教区 山田隆治上人による法話『念仏を称えるために』を拝聴しました。

方丈庭園

方丈庭園は江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧玉淵によって作庭されたと伝えられる池泉回遊式の庭園です。

唐問【重要文化財】1641年、徳川家光によって建てられました。 天皇からの勅使が訪れたときだけに使われる勅使門。屋根には、鯉に乗る仙人、琴高などが彫刻されています。

仏足石

釈迦の足跡を刻んだ石で崇拝の対象とされています。

慈鎮石

和尚石、座禅石ともいわれ、九条兼実の弟で天台座主、慈鎮和尚がこの上で座禅したといわれる巨石です。

大方丈。

大方丈は書院造りの形式を備え、鶴の間を中心に、上・中・下段の間、松の間、梅の間、柳の間、鷺の間、菊の間、竹の間があり、狩野派の襖絵(金碧障壁画)で飾られています。

奥に見えるのが小方丈です。

小方丈(こほうじょう)は6室から成り、大方丈とは対照的な水墨画が描かれています。 周囲には方丈庭園がめぐらされ、小堀遠州と縁のある僧玉淵によって造られたと伝えられる心字池や、茶室の葵庵、権現堂などが続き、春の桜、初夏の新緑、秋には池に写る紅葉、冬には雪景色や澄んだ空気の中全体がくっきりと見え、四季折々の風情を漂わせています。

 

 

権現堂

権現堂は正式には権現様影堂(ごんげんさまえいどう)と称します。浄土宗を信仰し、知恩院の大伽藍を築いた徳川家康・秀忠・家光三代の霊をまつる廟宇です。昭和31年に焼失しましたが、昭和49年浄土開宗八百年を記念して再建されました。

山亭

 

勢至堂客殿の山亭(特別公開)で、発願文や一枚起請文を写経できます。 写経後は、京都の町並みを一望できる庭園を楽しみながら抹茶やお菓子が頂けるそうです。この日は写経はやっていませんでした。

 

勢至堂

勢至堂(せいしどう)の地は、法然上人がお念仏のみ教えを広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地でもあります。堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰であり、知恩院の名の起源がここにあります。現在の勢至堂は享禄3年(1530)に再建されたもので、七間四面単層入母屋造本瓦葺、桁行21メートル、梁行20メートルの現存する知恩院最古の建造物です。ご本尊はもともと法然上人のご尊像(御影)でしたが、現在の御影堂が建立された折に移されたため、それ以降は上人の本地身(ほんじしん)とされる勢至菩薩像(重要文化財)をご本尊としてお祀りしています。これが勢至堂といわれる由縁です。また、上人ご終焉の本地の堂ということで、本地堂(ほんじどう)ともいわれています。知恩院境内の中でも、ひときわ静穏な空気に包まれた、お念仏発祥の地にふさわしい聖地です。

御廟

法然上人のご遺骨をご奉安する廟堂。方三間の宝形造本瓦葺で、周囲には唐門のある玉垣がめぐらされています。法然上人は建暦2年(1212)、この地にあった大谷の禅房でご入滅されましたが、その後、門弟たちによって廟堂が建てられ、ご遺骨がご奉安されました。現在の御廟は、慶長18年(1613)常陸国土浦藩主 松平伊豆守信一の寄進を得て改築されたものです。

廟堂の蟇股(かえるまた)には「雲に龍」「桐に鳳凰」「梅に鶯」「雲に麒麟」「松に鶴」「桜に鳥」「孔雀に牡丹」など、桃山様式の華麗な彫刻が施されており、法然上人のご生涯を偲ぶにふさわしい静粛さと格調のある建物です。

御廟の手前には、法然上人の御廟にお参りするための拝殿があります。宝永7年(1710)に建て添えられた檜皮葺のお堂で、法然上人を間近に拝することができることから、全国から訪れた檀信徒によりお念仏の声が絶え間なく響き渡っています。 また拝殿では、毎月、法然上人のご命日である25日に別時念仏会が行われます。

本日もご朱印を授かりました。

友禅苑

友禅苑は友禅染の始祖宮崎友禅生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園されました。 東山の湧き水を引き入れた庭園と枯山水の庭園とで構成された昭和の名園です。 苑内には裏千家ゆかりの茶室「華麓庵」と当山第86世中村康隆猊下の白寿を記念して移築された茶室「白寿庵」があり、深い緑のなかで日本の心を表した名園にふさわしい風情を添えています。

観音菩薩銅像

 

石塀小路

知恩院に行ったついでに、趣のある「石塀小路」(いしべいこうじ)を訪ねました。この道は、その名の通り、両端を石塀に囲まれた情緒あふれる細い小径です。下に敷かれている石畳は、昭和50年代に廃止された京都の市電の敷石を再利用したものだそうです。

 

次は、祇園の花見小路

本日も非常に熱かったです。

最後に、海鮮丼(はまち、サーモン、ねぎとろ)をいただきました。

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